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東京高等裁判所 昭和36年(く)34号 決定

少年 B(昭二〇・二・二四生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、

(一)  本件非行事実中強姦の点については、少年と被害者A子とは事件前十二月頃から交際しており、当夜は、少年、Y、右A子の三名で喫茶店で談笑後その辺をぶらついて学校の方に行き、あやまつて事件が起きたのであるが、YがA子の手足をもち、少年が強姦し乱暴してA子に怪我をさせたのではなく、Yは、手だけもち少年が強姦したことは分らないといつており、A子に乱暴などしていないのである。なお、A子は高校時代からいろいろ男との交際があつたのであつて、警察でもつとA子の方を調べてもらいたかつた。少年はまだ子供なので、警察の調べに対し訴えられたとおり返事をしているので、未遂でも強姦をしたものと思つているであろう。

(二)  また恐喝の点については、被害者H子(右A子の母)自ら、寒いからこれでソバでも食べなさいといつて無理に少年に千円渡したといつており、この金は、申立人がH子に会つてわびた上返した。少年が二、三回H子方まで行つたのは、少年がA子を好きでたまらず未練があつて会いたくなつたからであるが、H子が会わせてくれないので気がイライラしたのである。

(三)  少年は大船の○○製作所に勤めていたが、必ず五時十分頃には帰宅し、親おもい兄妹おもいのやさしい子で、月給袋も封を切つてきたことが一度もなく、そのまま母親に渡していた。申立人は日蓮正宗の信者であり、大確信をもつて少年を更生させることができる。

右の次第で原決定には異議があるというのである。

そこで本件少年保護事件記録(横浜家庭裁判所昭和三六年少第一、三八四号)を調査してみると、まづ少年がYと共謀の上、昭和三六年一月二日午後九時三〇分頃A子を藤沢市○○××番地の山林内に誘いこみ、同所において同女を仰向けに押し倒し、手足を押えつける等の暴行を加えてその反抗を抑圧し、同女を強いて姦淫したとの原決定の認定した非行事実は、右記録中のA子及び少年の司法警察員に対する各供述調書、Yの司法巡査に対する供述調書謄本、司法警察員作成の実況見分調書等によつて十分認められる。もつとも右証拠によつても、少年等に夜間淋しい被害現場までたやすく誘いこまれた上強姦され、その直後少年と同宿してさらに性交の機会を与える等被害者に極めて不用意な行動があつたことも否めず、あるいはその日頃の素行にも問題があつたかも知れないが、これらの点は本件犯罪の成否に直接の関係はない。(なお原決定は送致事実中致傷の点は認定していない。)

次に原決定記載の非行事実中恐喝の点については、右記録中のH子及び少年の司法警察員に対する各供述調書、Yの司法巡査に対する供述調書謄本等によれば、少年は昭和三六年二月一四日右Y等三名を引きつれてH子方を訪れ、事情を知らぬ同女に対し娘A子と面会させるよう強要したあげく、娘と関係があつたこと、本人とケリをつけるために来たこと、仲間と四人で来たこと等を申し向けて同女を畏怖させ、かつ同家玄関口に約一時間もねばつて同女を困惑せしめ、さらに「せつかく電車賃を使つて来たのに仕様がねーなー」と申し向けて暗に金品を要求するような態度を示し、同女をして少年等を退去させるためやむなく金員を交付させるに至つたことが認められるのであつて、少年は一旦H子がポケツトに押し入れた千円札を座敷に放り出して金をもらいにきたのではないかのような態度を示したが、結局H子がその場の難を免れるため無理にも少年に受け取らせようとしたのに乗じてその交付を受けたのであるから、これを恐喝罪として認定した原決定は相当である。

そして本件保護事件記録及び少年調査記録によれば、少年の性格及び非行歴は原決定説示のとおりであり、そのほか右記録にあらわれた本件犯行の罪質、犯行後の情状、少年の生活環境及び家庭の情況等を考慮すれば、在宅保護によつて少年を矯正することは期待できず、強制的に施設に収容して教育する必要があると考えられる。

従つて中等少年院送致の措置をとつた原決定は相当であつて、本件抗告はその理由がないからこれを棄却することとし、少年法第三三条第一項少年審判規則第五〇条により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 兼平慶之助 判事 関谷六郎 判事 小林信次)

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